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管理者の子育て日記 ~初級編~

まず始めに私がこの仕事についたのは息子の一言だったんです。
息子が「お母さん、児童発達管理者の資格取ったら?」と何気ない一言で福祉の仕事を始めようと思いました。
私の2人の子供は先天性感音性難聴です。生まれたときから耳が全く聴こえません。

上の子が聞こえないと分かったのは生後10か月頃でした。「もしかして聞こえていない?」と感じ、病院へとまさかと思いながら検査をすると「全く聞こえていません。とても重度の難聴です。」「今後話すことも無理かも」とあっさり判断され、その後どうやって家に帰ったのが覚えていません。

しばらく1か月間はカーテンを閉めきり、ボーっと過ごしていた気がします。でも息子はいつものように機嫌よくニコニコして私の方に寄ってきました。「ダメだ私!」と前を向く決心をして、今のように携帯電話で調べる時代ではなかったため本を読んだりして勉強しました。
療育もなかったので病院を転々とした気がします。あと高いお金を払って個人指導のところに通学させたりして1週間びっちりと親子で構ってた時期でした。
補聴器をつけ始めたのは1歳の時です。嫌がるかなと思いながらも意外とすんなりとはめてくれて、そこでびっくりしたのは自分の声が聴こえるのが不思議なようで、つけ始めてからずっと「あー--」と声を出しては喜んでいました。(*^^*)「あー」でた。それからは毎日、ずっと声掛けをしてました。遊んでるとき、ご飯を食べるとき、飲むとき、とすべてに関して声掛けをしてました。
医者からは話すことができないと判断されたにもかかわらず、補聴器をつけて1か月で「バイキンマン!」と声を聞いた時は「ママではなく、アンパンマンでもなく、バイキンマンなんかい!」とツッコミ!医者はとてもびっくりしていました。そこから溢れるように単語が止まりませんでした。びっくりした医者の顔が未だに忘れません!(^^)!

でも、自分の思いが伝わらない時は癇癪が凄かったです。泣く!わめく!物を投げる!身体いっぱいつかって表現する。補聴器も投げるのでこっちの言ってる事はわらない!癇癪がおさまるのを待ってからゆっくりお話し聞いてました。時にはこっちも泣きたくなりましたがひたすら我慢しかなかったです。こんな時自分の無力差だったり凄く悲しい気持ちになった記憶があります。

お兄ちゃんが3歳の時に妹が誕生

妹の時は出産の時に「この子も聞こえてない!」と母の直感!

でも大丈夫!頑張るしかない!と意欲が湧いてきました。6か月の時に検査に行きました。      検査が終わり「聞こえていません。お兄ちゃんと同じ重度です。」あっさり

検査技士の先生の方が目に涙を浮かべていて、逆に私が泣きたいのに泣けないという状況になりました。(;´Д`)

家に帰ってからやっぱり泣いているとお兄ちゃんが頭をよしよししてくれて「頑張るしかない」と思い直しました。

お兄ちゃんと違っていて補聴器をつけると「あー-」と連発するも単語は出ませんでした。声は出ているのに言葉は理解しているのに何故??

コミュニケーションを取る方法ないか?と考えた結果ハンドサインを使うことにしました。

ハンドサインは手を使ってコミュニケーションを取ります。ハンドサインを使いながらことばを促し、ことばとマッチングさせます。するとだんだんと単語も増えて来ました。

ハンドサインとは手話と似ており手を使って表現します。

例えば、「ちょうだい」は手を前に出して合わせます。

「飲む?」はコップを持っているイメージで飲むしぐさをする感じです。

長男と違うところは妹は意思が強いというか頑固というか1回これと決めたら曲げない性格です。
始めて話した言葉は「イヤー-」でした。この子も「ママ」ではなかったので、思わず笑ってしまいました。(;´Д`)
この子も大丈夫!いつか話すようになると直感し、息子・娘 頑張れ!と応援し母も頑張ろうと決意!

幼少期は落ち込んだり、笑ったりと色々大変でしたが今思うとたくさん子供と触れ合った気がします。

次は中級編です。続きをお楽しみに☆